アパレルも百貨店もGMSも『変化』を拒否すれば必ず淘汰される 南充活の繊維産業ブログより
SNSが普及して5年以上が経過したが、SNS間では格差が生じている。
日本では人気のツイッターだが、アメリカ本国では経営難に陥っており、身売り交渉も決裂している。
逆に「オッサンのゴミみたいな自慢話が多い」として若者に嫌われているフェイスブックは経営的には順調で世界的な使用人口ではツイッターをはるかに凌駕しているようで、このあたりの「個人の好き嫌い」という感覚もあてにならない。
ツイッターの代わりに日本でも注目されているのがインスタグラムで、こちらは使用人口が増加中であり、米国ではスナップチャットが好評らしいが、ためしにやってみたがイマイチ面白さがよく分からなかった。
そのツイッターについての記事である。
なぜTwitterの身売り交渉は行き詰まっているのか
http://diamond.jp/articles/-/105662
真鍋昭雄という教授が書いておられるが、彼の記事は基本的にいつもバランスが良く、分析が割合に的確である。
経済記事の書き手は多いが、基本的に左翼的思想に基づいている書き手の記事は内容がナンセンス極まりない。経済動向に過度な政治的イデオロギーのフィルターは不要で、不要どころか事実を歪曲する。
経済学には「絶対的正解」がなく、解釈次第である。だから同じ経済学者でもまるっきり理論が異なっているのである。
それはさておき、この記事の中で、ツイッターの凋落の原因を
ここで注目すべきポイントは、「注目の的」のスター企業であっても、需要者側の速い変化に対応できないと生き残ることができないことだ。スター企業であったTwitterの買い手は、今のところ現れていない。
今日のビジネス環境では、IT化がヒト・モノ・カネの動きを速め、競争は激化している。しかも、強力なライバル企業は次から次へと出てくる。そうしたビジネス環境の変化に対応できないと、たとえトップ企業であってもその座から引きずり降ろされ、企業の存続が危ぶまれる状況に陥る。それが今日の企業が直面する“栄枯盛衰”の法則だ。
企業が競争に勝ち残るためには、常に、需要者が求める新しいサービスや製品を常に生み出すしかない。
とある。
これはその通りであり、ひとえにツイッターのみ、IT企業のみに適合される考え方ではなく、すべての業種に当てはまる考え方だといえる。
国内のアパレル企業、アパレル業界が停滞・失速している理由もこれだと個人的には見ている。
もちろん、企業には変えてはならない核のような部分があり、横文字ではコアコンピタンスなんていっている。
コアコンピタンスが何かを見極める作業は重要だが、何もかも変わらないという選択肢はありえない。
しかしながら、国内のアパレル企業・アパレル業界の「変わりたくない」という姿勢はほとんど病的だと感じられる。ついでにいえば百貨店や大型スーパーも同じ轍を踏んでいる。
記憶に新しいところではZOZOTAWNが提供したWEARのバーコード読み取りサービスを業界の総力を挙げて廃止に追い込んだ。その結果、WEARは単なるコーディネイトアプリになってしまっている。
それでもそれなりの需要、ユーザーはあるが、それ以上の発展性は今のところない。
もっと古いところで行くと、ユニクロへのバッシングであり、これはいまだに続いており、20年近くもアホかいなと呆れ果てるほかない。
98年にユニクロのフリースブームがあった際には、低価格品への抵抗が随所で見られた。
何事も出始めには抵抗がつきものだから当然だろう。
それから18年が経過しているが、いまだに業界には「良い商品は相応の値段で売るべきだ」なんてことを言っている化石のような人がいる。
それは真理ではあるが、それをユニクロにいまだに言い続けたところで無意味である。
ユニクロはすでに自社のモデルを完成しており、高価格帯で売りたければファーストリテイリングはセオリーで売る。ユニクロが高価格帯品を販売する意味は全くない。
「良い物を相応の値段で売る」努力はユニクロに押し付けるべきではなく、自社・自ブランドの課題として取り組むのが正しい思考である。
そういえば、今でこそ、猫も杓子もアホの一つ覚えみたいに「EC化」とか「オムニチャネル」なんて口をそろえているが、10年前に洋服のネット通販なんて注目した企業やブランドはほとんどなく、名の通った大手や中堅はこぞって否定的だった。
80年代・90年代・2000年代的手法で2010年以降に洋服が売れないのだったら、
1、売っている商品自体を変える
2、売り方を変える
3、見せ方を変える
4、伝え方を変える
最低でもこのいずれか1つを実行しないことには、売れ行きが回復することはありえない。
場合によっては4つすべてを実行する必要があるだろう。
どれも変えずに売り上げだけを回復したいなんていうのは、それは単なるワガママでしかない。
例えば「伝え方」にしたところで、十年一日のごとく「うちはファッション雑誌だけで」なんて言っている化石のようなアパレルやブランドは世間が想像しているよりもはるかに多い。
化石だったら石油が取れて社会に貢献できるのだが、化石的アパレルからは大量の在庫と負債くらいしか出てこない。
ファッション雑誌がまるっきり無駄だとは言わないが、広く伝える手段ではなくなっている。
どちらかというと同好の士に向けたミニコミ的な存在である。
より大勢に広めたいなら現在なら、インスタグラムなどのSNSかもしれないし、経済雑誌かもしれないし、ウェブメディアかもしれない。
断っておくと、こじんまりと数人で食えるだけの金を稼げるのが目的なら変わる必要はない。
熱烈なファンを数百人くらい作ればそれでいい。
しかし、100億円だとか200億円だとかの売上高を回復させるためには、時流に合わせて変わるほかない。
売り上げ規模設定の問題であり、多くの大手・中堅アパレルは売上高の回復を目指している。だったらどこかを変えるという選択肢しかない。
「変化」を異様に嫌うようになった時点で国内のアパレル業界が凋落するのは当然の結末だったといえる。
キュレーション型ショップの展開
セレクトショップはキュレーションショップ
ファッションとは何か?
①ファッションとは何か?
「j-fashion」より
私なりに「ファッション」を再定義してみた。
これまでの、ファッションは流行、ファッションはライフスタイル、
という定義には違和感を覚えていたからだ。
私の「ファッション」の定義は以下のようなものだ。
「ファッション」とは、
「革新(イノベーション)とデザインにより、人々のライフスタイルに動き(ムーブメント)をもたらすモノやコト」の総称である。
大昔(1990年初頭)、ショルダーフォン(携帯電話)が発表時、真っ先に使った人や用例を紹介したメディアは、人々のライフスタイルに変化を与えた。
当時のショルダーフォンはファッションだった。
しかし、それが定着した段階でファッションではなく、単なる機能商品になった。
携帯電話が小型化しデザインバリエーションが増え、シーズン毎に新作が出るようになって、またケータイはファッションになった。
現在はスマホがファッションであり、ガラケーはファッションの要素が減少している。
ファッション産業とは、「ファッション」を継続的に創造し、ムーブメントを引き起こす産業である。飲食、インテリア、アパレル、雑貨等全てが含まれる。
では、それなら「ファッションはライフスタイルである‥」
ということになるが、この場合のスタイルとは様式にあたる。
・・つまり、
変化しないことがスタイルなのだ。
一定のスタイルを頑なに守る人やそのスタイルはファッションではない。
がしかし、
そのスタイルを知らなかった人が、自分なりに新たなスタイルを発見し、それを取り入れることで、自分のライフスタイルが変われば、ファッションになる。
スタイルの変化をもたらすことがファッションであり、
スタイルそのものはファッションではない。
ファッションのポイントは、変化とデザインとムーブメントである。
繊維産業は、綿(わた)、糸、織物、編物、染色加工、縫製等による繊維製品を生産、流通、販売する産業であり、変化、デザイン、動きとは直接関係ない。同じ糸を作り続けること、同じユニフォームを作り続けることは、繊維産業だが、ファッション産業ではない。
ファッション産業は、素材や商品の種類によって規定されない。
広告、エンターテインメント、レジャー、リゾート、教育、建築等のあらゆる業種業態が、時代の変化に対応し、革新とデザインにより、人々の暮らしにムーブメントを起こせばファッションになり、それが継続的な活動になればファッション産業の範疇に入ると考える。
以上のように定義を変えれば、ファッションは常に時代の先端を行く存在であり、現在のアパレルがファッションと言えるかは微妙になる。
②では・・ファストファッションとはファッションか?
ファストファッションはファッションだろうか?。
流行を素早く取り入れ、低価格で販売する。そのことが、新興国の中間層のライフスタイルを変え、先進国のファッション意識とファッション市場を変えたのだから、間違いなくファッションである。
ユニクロも原宿店がオープンした頃は、明らかに人々のワードローブに大きな影響を与え、ライフスタイルを変えた。従って、ユニクロもファッションだった。
しかし、
ファストファッションのショップが増え、トレンド変化に人々が驚くこともなくなった。最早、完全にワードローブの一部として定着したと言える。
こうなると、最早ファストファッションはコモディティ商品であり、ファッションの要素が減少してくる。
ファッションとは、個人の感情を動かし、社会を動かすことである。毎年、人々の感情を動かす工夫がトレンド情報だったが、次第にこの魔法は効力を失っている。みんなが一斉にトレンドを追いかけてしまうと、その変化さえも見慣れたものとなり、ありふれた日常になってしまうからだ。
最早、トレンドを追いかけても付加価値はつかない。
つまり、価格に反映できないのである。
③和食がファッションになった..
定期的に新作が出て、新作が出る度に人々が驚き、こぞって買い求める商品こそファッション商品である。
その基準で見ると、現在の日本市場においては、ラーメン、デパ地下スイーツ、パンケーキ、ポップコーン等が今のファッション商品と言えるだろう。
スマホ、タブレットも次第にコモディティになりつつあるが、それでも尚、ファッション的要素は存在している。
グローバルに見れば、「和食」がファッションになったと言えるかもしれない。
日本の美味しい食材、独自の調味料、日本酒や発酵食品等が「健康志向」とも相まってファッションになっている。
更に拡大解釈すれば、「日本」「日本文化」がファッションになったとも言えるだろう。伝統的な文化からアキバのポップカルチャー、あらゆるジャンルのオタク文化がファッションになろうとしている。
オタクは、日本国内ではごく小さな市場に過ぎないが、海外に目を転ずれば、何もない地域にオタクを生み出し、市場を生み出したのだから、明らかにファッションである。
現在の日本のアパレル業界では、ほとんどの企業が欧州のトレンドを追いかけている。これはファストファッションと変わらない。現代という時代においては、限りなくコモディティに近づいている。
では最新の真のファッションはとは‥
日本文化に根ざし、独自の変化を継続し、海外に新たな市場を生み出しているジャンルだろう。
その意味では、浴衣はファッションに近い。
しかし、変化を続ける仕組みと、デザインを価格に反映させる仕組みを持っていないので、ファッションになりきれていない。
浴衣をファッションにすれば、世界に発信できるだろう。
④あらゆる業種業態をファッションに変えよう!
アパレル産業はコモディティ産業になってしまった。
ファッション産業に戻すには、思い切った変革が必要になる。
例えば、トレンドを後追いしたのではファストファッションになってしまう。また、原価率ありきの価格設定も通用しなくなっている。原価を抑えることは、テキスタイルや縫製の質を落とすことを意味する。これもファストファッションの常識ではあるが、コモディティ化の一因にもなっている。
ファッションとはイノベーション、デザインにより、パーソナルとソーシャルの双方にムーブメントを与えることである。そして、それを継続することでビジネスと産業が生まれる。
例えば、オタクはファッション化しつつある。
かつてのオタクは小さなコミュニティ内で完結していた。しかし、最近はSNSによって、情報が爆発的に一般化していく。
例えば、
戦国武将や日本刀に興味を持つ人が増えている。もし、このムーブメントにデザインとイノベーションが加われば、ファッションになるだろう。
戦国武将や日本刀を表すシンボルデザインを創造し、それを商品化して発表する。あるいは、戦国武将をテーマにした飲食店をプロデュースする。あるいは、ブランド化するなど。。
こうしたアプローチは、鉄道マニア、工場マニア、廃墟マニア、猫マニア、うさぎマニア等々、どんな分野にも応用できるはずだ。
ファッションビジネスとは、あらゆる業種業態をファッション化することではないだろうか。?
そのノウハウは我々アパレル業界の中に潜んでいると思う。
コレクションと批評、メディア、ショップ、テキスタイルと色彩、モチーフ等々な要素の中にニューヒジネスのヒントが隠されている。
※コモディティ化とは
競合する商品同士の差別化特性(機能、品質、ブランド力など)が失われ、価格や買いやすさだけを理由に選択が行われること。機能や品質面で大差のない製品が多く流通し、消費者にとって「どの会社のものを買っても同じ」状態になること。一般化、大衆化、普及。commoditization。